[PR]看護師の好条件な求人情報満載:今人気の転職サイト♪6分に1人が登録中

旅立ち前 18日 19日 20日 旅行記Topに戻る 安保のPPに戻る リンク


大連と旅順・三日間の旅


日時:2001:平成14年2月18日(月)〜2月20日(水)2泊3日

1日目・・・2001:平成14年2月18日(月)


大連空港前で

■実は1月14日に行くはずだったのに
2度目の挑戦と言う事で、本来なら飛行機離陸の2時間前のツアーの集合時間で有るのだが、朝も早いし、要領も分かっているので1時間 遅く集まろうと兄と約束し、関空に9:30頃と言う事にした。しかし、到着すると“びっくり”やたら込んでいる、どこもかしこも列が 出来ており、その光景を見て少し慌てたが・・・JTBの係員は動ぜず、十分に間に合った。

海外旅行にはまだまだプレッシャーがある。 私の体調もこの二週間前くらいから、腹が張って気分が重く、せっかくの旅立ちなのに気分はさえなかった。この旅行で気分転換が出来、 体調も良くなるかも・・と言う期待を持っての出発であった。

荷物のチェックを受ける為の行列で、前に並んでいる一団が中国人のようなので、声を掛けてしまった??? 私:「中国人ですか?」「何処から?何しに?日本の印象は?日本の物価は高いでしょう?」・・・その様な問いかけを30代の男性にし たら 中国人:「そうです、広東省から、旅行で、大阪、京都、富士山、東京、5日間の短い旅行です。日本は素晴らしい、日本の物価は高いけ れど品物の品質は素晴らしい・・」

そんな返事が返ってきた、中国人のツアー旅行が解禁になり日本に来ている事が、現実に分かった。その一団の人たちの服装は、やはり日 本人と比べて見劣りがしたが、この人たちはきっと中国ではそれ相応の金持ちであり、我が家の家とは比べようもない豪邸に住んでいるの だと思う。

さあ、飛行機に無事乗り込み一路大連へ。 着いた、降りた、並んだ・・・入国審査の列はすごい人で、その大半が日本人であるように見えた、20分以上並んでやっと出口へ、JT Bのガイドを探したが、看板にJTBと書いていなくて迷った。案の定、みんな迷ったようで21名が揃うまで大分時間が掛かったのであ る。これが私にとって初めての海外団体ツアーとなる。

ガイドは30代の于さんという女性で、神戸のYMCAで日本語を学び5年間日本で生活し、日本語の上手な美人ガイドであった。 すでに、結婚し子供が一人いると言う事である。団体だし、この21名の中に中国人老夫婦となにやら怪しげな日本人か中国人か分からな い年輩の兄弟夫婦・・この兄弟は中国人のような中国語をしゃべる。食事の時に隣り合わせになった時、「中国の方ですか?」と聞いたら 「いや日本人」と言っていた、「何でそんなに中国語が上手なのですか?」と聞いたら「良く南方の中国に遊びに行っているから・・・」 と言う返事だったが、遊びに行っているだけで覚えた中国語ではないレベルである。 日本国籍の中国人かそれとも中国で何年か仕事をしていた人間だろうと言う気がしている。 中国語がぺらぺらの4人がいるので、この三日間の旅行中、私の拙い中国語は恥かしく、あんまり話す機会がなかった。

大連ヒルトンホテルは広かった 今までの旅行で一番良いホテルである。さすがこれが五つ星ホテルなのか??部屋が広く、洗面所の除湿も完璧で風呂に入っても直ぐに、 洗面所内が乾燥し、湯船のところにもカーテンがない。

広い部屋

大連市内観光 まず大連港に行った、春節の休みのせいだと思うが活気はなく、停泊している船もほとんどなかった。これが世界有数の貿易港だと言われて も神戸の港に比べればその規模は遥かに小さく・・“はあ〜そうなの”と思うしかない。とあるビルの屋上から大連港を見渡したが、風強く 寒かった。このビルもロシアの統治していた時は4階までしかなかったのだが、日本の統治時代に4階を継ぎ足して今はこのように8階建 てのビルになっている。と言う事であった。

大連港を望む・・大連港を望む

大和ホテル。旧満鉄本社。旧満鉄社員の家並。 日本が日露戦争後に満州に進出し、新天地を夢見て、大量の日本人が中国のこの大地に進出し、街を作り、会社を興し、行政活動をしてい た当時の活気はすごかっただろうと思う。その陰にこの地を追われた中国人がいたと言うのも事実であるが・・・ 1945年8月15日の終戦を迎えるまで、この地は満州国であり実質、日本が管理していたのである。今からたかだか57年前ほどのこ となのだ。

社宅跡・・満鉄本社跡

当時の建物の多くが、そのまま今も良く似た用途で使われており、当時の景観が思い起こされる。しかし、近年急速に満鉄社員の住んでい た家屋は取り壊され、次々と新しい団地に変貌しているようだ。そして、街の中心部に新しく観光用に洋風建ての日本人街なる、日本人が 見れば分けのわからない街を作り、下を店舗にして入居者を募集しているようだったが、値段が高くてほとんどが入っておらず、風情も面 白みもない街路だけが空しく軒を連ねていた。同じようにロシア人街もあり、そこでは露天商が何店か店を広げていた。

その一つの露店で果物を売っていたので、寒風吹く中を果物を広げ売っていたおばさんは、粗末な服で、手は農婦そのものの手だった。 そこで桃のような梨を一斤買った。中国では一個いくら?ではなく重さで売っているのが多いので、結構戸惑う。日頃から買い物もしない し一斤と言われてもどのくらいの量なのか??想像も出来ない。桃梨は5個くらい有った。そこで粗末なナイフを貸してくれた。「皮をむ いて」と頼んだが、自分で剥けとナイフを寄越した。

ちょうど同行のツアーの中国人の奥さんが剥いてくれようとしたが、一個剥いてくれたところで、ナイフをもらって自分で剥いた。私のほ うが剥くのが上手いから・・・剥いてみんなに配って自分も一個食ったら、味は梨だった。そのあと、市場でイチゴを買ったり、朝のモー ニングで西瓜や葡萄等の果物を食べたが、みんな日本の果物よりみずみずしく甘く美味しく感じた。はずれがなかったのだ??

夜というより夕方に中国料理を食べた。 二つの丸テーブルに21人が別れて座り、次々出てくる中華料理を食べた。どれもまずくて食べれない物はなく、美味しかった。私の胃の 方も昼食は機内ではほとんど食べる気にならなかったが、気分転換が奏効したのか少し食欲が戻って久しぶりに食べたいと思って食べれた 食事であった。

ホテルに戻ってから、兄と一緒に外を散歩しに出掛けた。 まずはインターネットの出来る所へ行ってみようと、ホテルのボーイに聞いて直ぐ近くにあるという店に出向き直ぐに探し当てた。ゲーム 機の代わりにパソコンが並んでいる店内には、若い男の中国人多く、みんなインターンネットよりゲームを楽しんでいるようだった。 店の人に中国語でインターネットをしたいというと、日本語のはないと言われ、中国語で良いからと入った。一台のパソコンに案内され、 料金は30分か1時間かちょっと聞き取れなかったが2元(30円ほど)と言われ、設定をしてくれた。

自分のHPのアドレスを間違って入力し、しばらく手間取ったが、無事にこのHPがダウンロードされ大連の薄暗い店で見ることが出来た。 文字化けで日本語が読むことが出来なかったが、すぐに日本語フォントのダウンロードの指示が画面に出て、その指示に従ったら簡単にダ ウンロードが終了し、日本語が読めるようになった。上海と大連で自分のホームページを見る事ができた・・・当たり前のことだけどいさ さか感動するのである。

兄と二人で、百貨店のような店に入って、お菓子やで兄がお菓子を買ったり、ぶらぶらうろついてホテルに戻り一日目は終了である。 明日は中国時間7:30出発。6時にモーニングコールがなるようにガイドさんが頼んでくれているようだ。

春節でひっそりの大連・・ツアーのバス

(2月18日(月)、一日目終わり)

旅立ち前 18日 19日 20日 旅行記Topに戻る 安保のPPに戻る リンク


[PR]大人気!看護師単発アルバイト:看護師の単発のアルバイトを手軽に検索!